やさしく狂う夏

夏が、終わりますね。急に涼しくなってびっくりしています。

涼しくなったのとちょうど同じころ、主観的にも夏が終わりました。わたしにとっての夏とは、夏にあるでかい仕事をやりきることなんですが今年も無事に乗り切ることが出来ました。

何度見てもタイトでハードすぎるスケジュールに大丈夫か?と思いながらも、一度振り切ってしまえばやるしかないわけで、駆け抜けているうちに去年よりも楽しくやることができたので嬉しかったです。

そして今年の夏の目標は「夏バテしない!」だったのですが、これも達成しました。食事を抜かないでとにかく食べられるもの(できるだけお腹を冷やさないような温かい食事)をとるようにしたら良かったみたいです。

体を維持することの重要さを年々感じるとともに、自分の体は自分しか管理できないんだから最低限はちゃんとしようと思えるようになりました。元々、適当なんですけどさすがに気にするようになってくるよね。

 

さて、先日、小学生のころからの友人と会いました。ちょうど私がハードスケジュールでしんでる中だったので、わがまま言ってうちまで来てもらって、泊まってもらいました。

この子は1年半前にも会っていて、その時はなんと7年ぶりの再会だったんですよ。

その時よりは緊張しなかったけど、やっぱりなんか緊張してしまった。が、そんなもんは杞憂で終わり、最終的に「この子を守りてえ…」とか思って別れました。なんなんだ。

Twitterでたまたま読んだツイートに「高校までの人間関係の作り方が真逆な人ほど恋愛面でも友情面でも惹かれ合いやすいらしい」とあって、友人とはまさにそれだと思います。

一緒にいたのは小学生の中の約4年間だったのだけど、友人はとにかく直球で、嫌なことをされたらその場で相手に「なんでそんなことするの?」って突っかかるし、クラス内の他の子へのいじめのようなものにも流されずに立ち向かってたらしいです。

そのせいで本人が仲間はずれにされてしまうことも少なくなかったようですが、その不器用で正義感が強いところが私にはまっっっったく無い。笑

わたしは当時誰とでも仲が良く、基本はその友人と2人で遊ぶことが多かったけど色んなグループの子と遊びながらふわふわと害のない立ち回りをしていました。平和主義だしケンカが面倒だからしたくなかっただけなんだけど。

だからわたしが他の子と遊んでる時に「なんでその子と遊んでんの?!」ってキレられたり、ちょいちょい当たり強かったりして当時は毎日遊びながらもちょっと苦手意識はありました。

でも、ずるい私とは真反対のまっすぐな人で、傷付けてしまったことも多いだろうから今となってはお互いさまということにしておきたい。

そんな彼女ですが今は本人も声を大にして言うくらい、性格が丸くなりました。わざわざうちまで呼びつけて泊まってもらったのにも関わらず「泊まれて嬉しい!」「まさかご飯作ってくれると思わんかったー!嬉しい!」と、とにかく楽しそうにしてくれてマジで守りたいと思いました。悪い男に引っかかってほしくない女友達暫定1位。大人になってからも未だに仲良くしてくれる友人のこと、本当に大切にしていきたいなと思います。

 

そして最近読んでいるのが『きみの言い訳は最高の芸術』という、詩人・最果タヒさんのエッセイ集です。

わたしはエッセイとか雑誌でのインタビューとか日常系のブログとか、その人の思っていることが書いてある文章が大好きです。というわけで、この方の本業は詩人なのに詩集を買う前にエッセイ集を買ってしまった。

最果タヒさんの詩はウェブ上(Tumblrhttp://tahi.tumblr.com/)で読んだのがきっかけで、この人の感覚はよく分かるんですよね。このエッセイ集の帯での推薦文で、「別の星の果実みたいに新鮮」ということが書いてあるのですが、わたしにとっては普段思ってることをちょっと強めの色を付けて文章にしましたというような感覚なんですよ。割と普段考えていることがそのまま書いてあったりする。

特にエッセイ集の中の「ノー・コンティニュー・ダイアリー」に書いてある、

“私は他人に見せる予定のない言葉を書くのが、本当に本当に本当に嫌いだ。”

“私にとって書くとは誰かに見られる前提で書く、というのとイコールなんです。それ以外想像できない。最初からそう。”

ということ、わたしも本当に本当にそうで共感どころではなく「これ私やんけ」って思いました。

わたしも小学生のころからブログのようなものを始めて、それからずっとこんな感じなので見られるのが大前提でそれ以外は考えられない。自分のためだけに自分しか読まない日記を書く人を羨ましく思って挑戦してみたこともあるんですけど、三日坊主にもならないうちに終わってしまいました。見られないところで書くことが本当にできない。

それと関連づけて言えるのは、わたしは自分のためだけに何かをすることができないということ。自分のためだけに毎日栄養のある食事を用意するとか、自分のためだけに毎日部屋を掃除するとか、自分のためだけに勉強をするとか。自分のために努力することができないんです。

小学生のときに鼓笛隊というのがあって、そこでフラッグを担当していました。みんなが演奏する横でカラフルな旗を振る役で、華がある役。フラッグ役も複数人いる中で、わたしは一番前で演技させてもらっていました。

パートが決まったのは5年生の終わりごろ。鼓笛隊は6年生のみで形成されるので、6年生にあがり本格的に活動するようになった時、改めて配置の発表があり、わたしは最後尾になったのです。急なことで自分でも訳がわからない状態でした。こんなに大きく動かされたのは私くらいでした。なんで?って思っていたところ、先生から聞いたのは「他の子たちは休み時間に練習していたよ」ということ。知らないところで努力をして掴んだ地位だったんですね。

その時、陰で努力できる人に対してわたしは敗北を認めざるを得なかった。そこから巻き返せば良かったのだけど、ただただ「負けだ」と思ったのです。それからというもの、自分のためにちゃんと努力できる人には勝てないということをずっと思っていて。

まあ、そのころ希望者だけが入る合奏団というオーケストラ団体のほうに所属していて、そちらにめちゃくちゃ力を注ぐことによって変にコンプレックスを背負うことは無かったんですが、自分の弱点を認めた瞬間でした。

それはそれで今まで生きてきて不自由を感じることはなかったけど、エッセイを読んでそんなことを思い起こしています。弱点をハッキリと認めたことってこの時が初めてだったから、鮮明に覚えている。

 

忙しかった夏も終わり、ようやく羽を伸ばせています。わーーい。夜の本屋が大好きで、早速終電がなくなるまで居座ってきました。夏の終わりに楽しい予定も入って、楽しみです。

最近久しぶりに嵐の曲を聴いたら良すぎて、かなり沁みました。夏の終わりにおすすめなのは『夏の名前』と『風』です。

『風』の「ただ こんな気持ちのまま夏がゆく」っていう歌詞、天才かよ。夏の終わりの切なさが好きなんだよ。

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りんご飴を持つとなんとなく薔薇っぽい。